東日本料理学校協会 ⁄ 「私の一番、“●●”な料理」

ごあいさつ

「東日本料理学校協会」にて、昨年度より事務局長を務めております、岡田と申します。

当協会は、設立60周年を超える「一般社団法人全国料理学校協会(当時は全国料理学校協会)」の先駆けとして誕生した、歴史ある協会です。

この度、サイトの新企画「私の一番、“●●”な料理」がスタートいたします。“●●”には、それぞれいろいろな言葉をあてはめながら、料理にまつわるお話、お店、レシピなどをご紹介してまいります。

手前みそになりますが、当協会には、家庭料理を中心に、料理の基本からおもてなし料理や各国の料理までをお教えする素敵な先生方がたくさんいらっしゃいます。このページでは先生方とのエピソードなどもご紹介していきたいと思っております。

現時点で、更新は不定期ですが、何卒よろしくお願いいたします。

「私の一番、“思い出深い”料理」

私の一番思い出深い料理は、「茄子と豚肉の味噌炒め」。この料理は私の実家の祖母から母そして私へと受け継がれた料理です。

夏になると、子供の頃食が細かった私は、めっきり食べられなくなってしまっていました。そんな時に、母がいつも作ってくれた料理です。少し甘くて柔らかい茄子が好きで、味噌味なのでご飯にも合い、これを食べると元気になった夏の健康食です。

このレシピを今月教室の生徒さんにお伝えいたしました。私から生徒さん、そして生徒さんのご家族、お子様へと繋がっていけば嬉しいです。そして、皆様もご両親や祖父母方々と、ご家庭の美味しい料理を作ってみてはいかがでしょうか?

私はもう習いたくても、祖母も母もおりません。でも、美味しい味は覚えていて、いつも私に元気を届けてくれます。心のこもった料理の味や記憶を引き継ぎ、伝えていただければ嬉しいです。

2022年8月 家庭食育塾廣瀬 廣瀬弘子

「私の一番、“前事務局長との思い出のお店の”料理」

「東日本料理学校協会」事務局長・岡田です。

以前の投稿で、昨年度より事務局長を務めている旨お知らせしましたが、私の前の事務局長は、設立当初から運営に携わり、長年事務局長を務め、協会へのご功績は多大な「新居文樹」先生。

残念ながら2021年1月29日にご逝去されました。

改めて謹んでのお悔やみ申し上げますとともに、そんな前事務局長との一番思い出が詰まっているお店をご紹介します。

ここのお店の名物は、なんといっても「ピーマンの肉詰め」です。

ピーマンの肉詰め以外にも、レバー、シロ、ハツ、マツタケ、にんにく焼き、、、etc.

本当に、よくご馳走していただきました!

全てが絶品で、ここの焼き鳥をいただくと、概念が変わります!

みんなの「美味しい」や驚く顔を見て、新居文樹先生は「嬉しいわね~」と瓶ビールを堪能していらっしゃいました。

新居文樹先生の影響で、家族・友人と何度も訪れ、愛する人の多い名店です。

もちろん、当協会会長・服部幸應先生も常連。

三代目・酒巻祐史氏は、当協会の研修会に講師として登場したこともあります。

コロナ禍により、なかなか伺えませんが、記事を書きながら、懐かしさがこみ上げてきます。

落ち着きましたら、「鶏のでない焼き鳥の名店」の絶品焼き鳥を、ぜひ、ご堪能いただけたらと思います。

2021年12月 事務局長 岡田記世子

「私の一番、“初めて本格的に試行錯誤して作った”そして“食べ歩きの原点となった”料理」

「東日本料理学校協会」会長・服部幸應です。

この度、当協会ではサイト限定企画として「私の一番●●な料理」コラムをスタートさせました。事務局からすでにいくつか記事が投稿されておりますが、トップバッターとして、私からも皆さんに思い出の味をご紹介したいと思います。

私の実家は、祖母も両親も料理の先生という家系でした。幼いころから両親は仕事でしたので、私は典型的な「おばあちゃん子」。祖母の料理は昔ながらの料理で、本当に美味しかったです。

小学校4年生のころ、父に「そろそろワシの料理を作ってみろ」と天丼づくりを命じられました。ところが、それが美味しくなくて叱られまして、、、

そこで、祖母が、「いろいろ食べに行こうよ」とまず天丼の美味しいところへ連れて行ってくれたのが、“食べ歩き”の始まりでした。そこから今に繋がるまで、食べることは「命の源」であり「楽しみ」であると同時に、私にとっては「使命」のようなものでもあったのかもしれません。

小学校5年生の時、自分で美味しいと思ったお店の主人に頼んで作り方を教えてもらい、家でその味を再現しました。試行錯誤を繰り返し、10回ほど作って、初めて「うまいっ!」と父に褒められました。

嬉しかったです!「うまいっ!」という時の父の顔見たさにそれからずっと一生懸命にいろいろ作りました。

父が、子どもが作ったものだからと「よくできたね~!」と褒めてくれていたら、食べ歩きを始めることも、美味しいものへのどん欲なまでの探求心など、その後の成長もなかったかもしれません。そう思うと、自分にとって大切な“芯”となる部分については、厳しく接してくれた父に感謝です。

当時食べ歩いた天丼屋さんはもう代変わりされたり閉店されたりしていますが、思い出は心に残っています。そして、ふと、あの当時自分が作った天丼を今食べてみたいなと思ったりもします。

この歳になっても、あの父の「うまいっ!」という時の顔は忘れませんし、料理を作るものにとって「美味しい!」「「うまいっ!」の一言は何よりのご褒美でしょう。

料理とは、美味しいこと、楽しいこと以外にも、味はもちろん五感全てでその時の思い出が蘇る唯一無二の素晴らしいものだと思います。そんな“料理の業界”“食の業界”に長年携われることは私の誇りです。

皆さんもぜひ料理を食べることの楽しさ、作ることの素晴らしさを味わい、体験体感し、受け継いでいっていただきたいと思います。

2021年11月 会長 服部幸應

「私の一番、“協会行事初参加”の料理」

「東日本料理学校協会」事務局長・岡田です。

私が入局したのは、17年前の2004年11月。

入局前、東日本料理学校協会理事会に初参加したのが、2004年10月25日。場所は、東京恵比寿の「ウェスティンホテル東京」2F「龍天門」でした。

当時の全国料理学校協会会長鈴木敏之先生(故人)やテレビで拝見する先生など東料協理事の先生方が集結されており、ワクワクドキドキしたことを覚えています。先日、当時の写真を見つけ、大変懐かしく思いました。

その後、同ホテル「龍天門」では、何度も協会イベントでいろいろなお料理を堪能させていきましたが、やはり、「龍天門」と言えば、『担々麺』!陳啓明料理長(当時)の『担々麺』は絶品!

今は料理長も変わられ、あの味を食べることが出来ないのかもしれませんが、私にとっては、協会局員としての出発・原点となる思い出の味です。

2021年10月 事務局長 岡田記世子

「私の一番、“コロナ禍前、最後の協会イベント”の料理」

「東日本料理学校協会」事務局長・岡田です。

当協会では、毎年、会員の親睦等のため、新年会や総会懇親会を開催しておりました。

昨年2020年1月には、東京・水道橋「東京ドームホテル」にて新年会を開催。

ご参加の先生方、賛助会員の皆様と、美味しいお料理、楽しい会話で、楽しくステキな♡ひと時を過ごしました!

まさかその後、このような、コロナ禍の世の中になるとは想像もせず、、、

その日のお料理を写真で一部ご紹介。

一日も早くコロナが収束し、そして、一日も早く皆様とお目にかかり、美味しいお食事と楽しい会話で、ステキな時間を過ごすことができるように願っております。

2021年10月 事務局長 岡田記世子